米軍普天間飛行場移設問題に関する提言

20131213

公明党沖縄県本部

米軍普天間飛行場の県外移設を求める

 

沖縄県は今、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題に関わる国策によって翻弄されている。

公明党沖縄県本部は、日米両政府が唯一の解決策として推進する普天間飛行場の名護市辺野古への移設案について、仲井眞弘多知事の「辺野古移設案の実現は事実上不可能、県外を探した方が早い」との考え方を支持し、県外移設を求め、埋め立て申請に対する知事意見については「不承認」とするよう提言する。

 

なぜ多くの県民が「県外」を求め、仲井眞知事が県内移設は「事実上不可能」と言わざるを得ないのか。日米両政府は、この事実に正面から向き合うべきである。

かつて、米国のラムズフェルド元国防長官も非常に危険な飛行場と評した普天間飛行場の返還は、日米合意から17年を経たがいまだに実現していない。その理由は「県内移設」を条件としたからに他ならない。

 この間に、日米外交関係や日米安保体制、沖縄の基地問題などにおける様々な情報が明らかになり、「密約」を含む多くの事実が県民の知るところとなった。そこから見えるのは、日米安保体制の陰で、いまだ過重な基地負担にあえぐ沖縄の変わらぬ実態であり、差別と言わざるを得ない政治的意図である。安保による恩恵は全国民が等しく享受し、米軍基地の負担は沖縄に過度に押し付けるやり方はこれ以上容認できるものではない。

 

公明党は1960年代後半、「調査なくして発言なし」という基本精神に基づき、当時、政党としてはもちろん、日本国としても実施してこなかった在日米軍基地の総点検を行った。この中で、戦闘機の爆音響く基地周辺など全国145カ所を徹底的に調べ、米軍基地の危険性などを指摘した結果を発表。これが反響を呼び、米軍基地の段階的な整理・縮小へとつながった実績がある。

公明党沖縄県本部は、普天間問題が正念場を迎えている今、あらためて戦後の日米関係や米軍基地の沖縄集中の経緯などについて調査研究を進めるための「基地問題プロジェクトチーム」を県本部内に立ち上げた。かつて、当時の名護市長や県知事が苦渋の選択として条件付きで辺野古移設案を容認した判断を追認した経緯がある故に、今回の調査研究を踏まえ、県本部としての説明責任を果たし、県民の負託に応えるべく、ここに普天間問題に関する主張と提言をするものである。

これ以上、沖縄が政治的に翻弄され、基地問題を挟んで県民が相争うような悲しむべき事態は避けなければならないと切に願う。日米両政府は、「県内移設」を断念し、一日も早く普天間の危険性を除去し固定化を避け、辺野古移設案を見直すとともに、仲井眞知事にあっては、「県外移設」を求める県民の期待に応え、歴史に誇れる判断をしていただくよう強く要請する。


1、沖縄の基地をめぐる誤解

 

普天間飛行場を含む沖縄の基地問題を考えるとき、県民は本土との温度差を感ぜざるを得ない。それはそのまま、政府と沖縄との温度差に通じている。

沖縄の基地問題に対し、いまだに多くの誤解や先入観があるが、その代表的なものが、米軍基地は沖縄に置くのが適当だという考え方であり、基地がある故に沖縄の経済が成り立っているという見方である。沖縄からすれば、偏見としか言いようがないが、提言の前提として整理しておきたい。

 

ア.沖縄に米軍基地が集中した理由

 

 多くの日本国民が沖縄に米軍基地があることを当然のこととしているが、歴史的事実として、軍事的・地理的な優位性から沖縄に集中したのではない。

1945年8月15日、敗戦を受け入れた日本は、同年9月2日に降伏文書に署名、その後、講和条約締結までの約7年間、占領時代が続くことになる。降伏文書の内容は、日本が連合軍総司令部の布告、要求、命令すべてに従うことが明記されており、その最高責任者がマッカーサー総司令官であった。

こうした情勢の中、1950年6月に朝鮮戦争が勃発。米国の対日戦略が変化し、中国やソ連などの共産主義の脅威に対応するため、日本各地に基地を置くことで対共産圏への防波堤としての位置づけを鮮明にしていく。その交渉担当として米国は、ジョン・F・ダレスを日本に派遣した。吉田内閣はダレスとの交渉の前に様々なシュミレーションを検討したが、最終的に日米間の交渉は「日本が米軍の駐留を希望する」という結果になってしまった。

 

こうした背景から、もともと日本各地に米軍基地は配置されていた。しかし、基地周辺の住民を中心にした基地反対運動の高まりや、朝鮮戦争の鎮静化などによって本土の基地は徐々に統合、縮小、撤退していき、その代わりとして、当時まだ米軍の施政権下にあった沖縄に基地が集中していくことになった。しかも「銃剣とブルドーザー」という言葉に象徴されるように、強制的な土地の接収によって基地が建設されたのである。

米海兵隊も朝鮮戦争時の1953年、韓国に駐留していた陸軍をバックアップするため日本に駐留するようになり、当初は岐阜県のキャンプ岐阜と山梨県のキャンプ富士に駐留していたが、1956年前後に沖縄に移転してきた。

要するに、戦後、本土各地にあった米軍基地が住民による基地反対運動によって沖縄に追い払われたのであり、抑止力や軍事的・地理的優位性から沖縄に集積されたのではないということである。今日の普天間飛行場移設問題と同じく、「本土で受け入れるところがない」という政治的理由から、沖縄に基地が集中したというのが真実である。

 

 

イ.沖縄は基地経済で生きている?

 

一部の国民の間には、基地と経済に関する誤解が、いまだにあることを指摘しないわけにはいかない。それは、沖縄は基地のおかげで経済的な恩恵を受けているのではないかという認識である。

 終戦直後は、凄惨な地上戦によって焦土と化し、すべてを破壊されたことから、米軍基地建設に関わる仕事以外に生活の糧がなかったため、好むと好まざるとに関わらず、多くの県民が軍雇用員として働いた。その頃の基地関連収入は、県民所得の60%を占めていたともいわれている。

しかし、その割合は徐々に減少し、本土復帰の1972年当時は、すでに15%台にまで低下。現在は、もはや5%台で、完全に基地経済からは脱却している。

県の資料によると、那覇市の新都心地区や小禄地区、北谷町のハンビー基地跡地などにおいては、基地返還前と返還後では、雇用者数、経済波及効果などの指標で格段に返還後の数値が高いことが示されている。一例を挙げれば、那覇市の新都心地区にあった215ヘクタールの米軍住宅地は、返還前の基地関連収入52億円から返還後は、商業施設の販売額で600億円を超え、税収も6億円から97億円に、雇用を含めた経済効果は17億円から180億円になっている。基地関連収入に比べて、米軍基地の返還、跡地利用による民間活用の方が、はるかに経済効果を生むことが証明されている。

今日の沖縄においては、米軍基地は経済発展の最大の阻害要因であるというのが共通認識である。これから返還が予定されているキャンプキンザー、キャンプ瑞慶覧、那覇軍港などは、沖縄振興に大きく寄与するものと期待されており、一日も早い返還が望まれる。当然、宜野湾市のど真ん中に位置する普天間飛行場もその一つである。

 

また、沖縄は基地のおかげで振興策など財政的に優遇されているとの声があるが、これも誤った認識である。地方交付税や国庫支出金など一人あたりの国からの交付額は全国10(平成24年度)であり、決して突出しているわけではない。27年間もの長きにわたって米国統治下に置かれたことによる経済発展の遅れを取り戻すための措置でしかない。よって米軍基地は、経済的な恩恵を受けるものとして評価される対象ではないのである。

 

さらに、2001年の米国同時多発テロが発生した際、本土や海外から沖縄への観光客が激減し、沖縄経済に大きな打撃を与えたことは今なお忘れることができない。基地がある場所は「安全」ではなく、むしろ「危険」であるということを、全世界が如実に示した事実である。

 

 

2、過重な在沖米軍基地

 

米兵による事件・事故や騒音など負の側面を持つ在日米軍基地が、国土面積0.6%の沖縄に約74%も集中している。本土が基地の受け入れを拒否する中で、沖縄だけが基地との共存を強制されており、あまりにも理不尽な状態が続いている。加えて、沖縄に基地が集中しているのは軍事的な理由ではなく、政治的な理由であることが明らかになっている。もう沖縄は後戻りできない。よって、ほとんどの県民が求めている普天間の「県外移設」を政治的に日本政府が主導して実現させるべきである。

 

戦後68年以上が経過した。その間、日本は敗戦から立ち上がり、戦後復興を果たして経済大国へと発展した。日本国憲法は戦争を放棄し戦力の不保持を宣言し、国の安全保障は、日米安保条約に基づき米国との同盟関係を維持することにより、戦後の平和と安定を確保してきた。

 一方で、基地あるが故の事件・事故、騒音被害、米兵犯罪による人権侵害、日米地位協定の壁など、日米同盟には負の側面があることを忘れてはいけない。そして、その負の側面の大部分を背負ってきたのは沖縄である。一地域への過重負担は異常であると言わざるを得ない。

 

航空機の墜落事故については、1959年6月に旧石川市の宮森小学校へ戦闘機が墜落し、多くの犠牲者を出した。また1972年の本土復帰後も、県内で発生した米軍機の墜落事故は45件に上る。実に年1回以上墜落している計算になる。特に2004年8月、米海兵隊の大型輸送ヘリが、普天間飛行場のすぐ横にある沖縄国際大学に墜落し、炎上した事故は記憶に新しく、同飛行場の危険性があらためて浮き彫りとなった。

その他、殺人、強姦、強盗、交通事故など、県民の生活を脅かし、人権侵害の事件・事故も多数発生してきた。その際、たびたび問題解決の壁になったのが、米軍側が有利に扱われる「日米地位協定」である。裁判権や環境汚染問題、入国審査特権、事故発生時の基地内立ち入り調査の制限、演習・訓練等への国内法の適用除外、米兵の私有車両の優遇税など、不平等な日米地位協定によって沖縄県民は常に苦汁をなめてきた。

 

 2009年、民主党の鳩山由紀夫代表(当時)が普天間移設問題について、「最低でも県外」という公約を掲げて衆院選を勝利し、民主党政権が誕生した。県民も普天間の「県外移設」に大きな期待を寄せたが、ほどなく「県外移設」を断念すると同時に辺野古移設案という「県内移設」に回帰し、県民の期待を大きく裏切った。その際に持ち出された米海兵隊の「抑止力」や「地理的優位性」についての論議は、後に「政府が国民を説得する政治的手段」であると判明した。

そこから見えてくるものは、日本政府が沖縄に米軍基地を置く理由として説明を行ってきた「抑止力」や「地理的優位性」が、沖縄に米軍基地を押しとどめるための“政治的な理由”であり、日本政府の明確な“意図”によるものだということである。このことは、平成24年12月森本敏元防衛相が離任に当たっての記者会見で、「海兵隊が沖縄に駐留しなければいけない軍事的理由はない。受け入れ先がないという政治的理由で置いてある」との趣旨を正直に吐露したことに表れている。

こうしたことが明らかになった以上、普天間の移設先について、「県外移設」を求める県民の強い意志は、もはや元に戻ることはない。本土が米軍基地の受け入れを拒否する中で、本土の主張は認められ、なぜ沖縄だけが基地との共存を強制されるのか。あまりにも理不尽である。

 

3、普天間固定化論のウソ

 

 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、政府や自民党本部は、同飛行場を名護市辺野古沿岸部へ移設するとした日米合意案が実現できない場合、普天間は「固定化」されるとして県選出自民党国会議員や自民党県連を辺野古移設容認に追い込んだ。だが、この普天間の「固定化論」は、辺野古移設を容認させるためだけの県民をおどす文句であり、沖縄に対する“差別”との見方が正しい。

返還合意から17年たっても危険性が放置されている姿そのものがすでに「固定化」であり、今後、日米合意を受け入れて辺野古移設を推進したとしても、普天間が返還されるのは順調に行って9年後、もし、反対運動が燃え盛り工事の進行が妨害されたら何年延びるかわからない。そうなれば、普天間の危険性は放置されたままだ。こういう状況を「固定化」と言わずして何と言うのか。

 1995年、少女暴行事件が起きた直後、当時のペリー米国防長官は、「日本のあらゆる提案を検討する用意がある」と言明し、日本政府から本土移転の提案があれば応じる姿勢を見せたが、日本側からのそうした提案はなかった。また、民主党政権で防衛大臣を務めた森本敏氏は、大臣就任前の2010年6月、沖縄で主催されたシンポジュウムで「沖縄の海兵隊は中東や太平洋など広大な地域に展開している。ハワイ、グァム、沖縄の三角拠点で、アジア、太平洋のどこにでも戦略展開できる。それを踏まえれば沖縄でなくてもよい。軍事的には日本国内であれば良い。政治的にできないから官僚が道をふさいでいるだけだ」と述べた。昨年12月に防衛大臣を離任する記者会見のときにも、同じ発言をした。

 このことから分かるように、普天間を「固定化」させているのは、政治の不作為に原因があるのであって、沖縄県民が辺野古に反対していることが原因ではないのだ。

 

公明党沖縄県本部は、普天間問題の解決に向けた方途については、早期の閉鎖・返還、県外移設、自衛隊基地との併用、国外への訓練移転など、さまざまな手段があるのではないかと考える。そのことにより、普天間の固定化が回避でき、辺野古移設案ではない解決方法が見えてくるはずである。それらの可能性を追求せず、辺野古移設案のみが唯一の解決策であると固執するのは、断じて容認できない。

 

 

4、在日米軍と在沖海兵隊の役割

 

日本の安全と極東の平和維持に在日米軍が寄与していることは論をまたないが、米海兵隊の役割とあり方を考えると、沖縄に駐留する必然性はなく、普天間飛行場の代替施設を辺野古に建設しなければならないという主張も成り立たない。最近、地元紙は、沖縄が本土に復帰した直後、米国は沖縄を含む太平洋地域から海兵隊の撤退を検討していたことを報道している。

したがって、日米両政府は、在日米軍、特に在沖海兵隊の役割とあり方を再検証し、沖縄の基地負担を早急に見直すべきである。

 

日米安保条約第6条には、「日本国の安全に寄与し、ならびに極東における国際の平和および安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍および海軍が日本において基地を使用することを許される」と記されており、日本の安全と極東の平和および安全に寄与するために、米軍は日本での基地使用が許されている。

 そして現在は、三沢空軍基地、横田基地、厚木基地、横須賀海軍基地、岩国基地、佐世保基地および嘉手納基地、普天間飛行場などに空軍、海軍、陸軍、海兵隊の四軍が駐留している。加えて第7艦隊があり、その圧倒的な軍事力は、抑止力として日本の安定、極東の平和維持に寄与していることは論をまたない。しかし、沖縄の海兵隊やオスプレイだけを取り上げて抑止力という論理には無理がある。

 

在沖海兵隊の役割とは何であろうか。普天間飛行場の移設に関し、海兵隊は抑止力として、沖縄に駐留させなければいけないと政府は説明してきた。しかし、海兵隊の役割は、海軍の艦船に乗って戦闘地域に近づき、一気に砂浜から陸地めがけて駆け上がる強襲揚陸作戦を主とする部隊である。近年は、テロなど小規模紛争や災害救援活動などに対処する戦略へと役割が変化してきている。

 沖縄の海兵隊の定数は、1万8千人とされているが、常時沖縄に駐留する海兵隊の数は数千人程度といわれている。海兵隊は、沖縄を訓練場として使い、ハワイ、グアム、フィリピン、タイ、オーストラリアなど、アジア太平洋地域を移動しながら訓練している。有事の事態となれば、緊急招集して危機に対応するが、在沖海兵隊を、固定的に抑止機能を持つ部隊として位置付けることは実態とかけ離れている。海兵隊輸送の強襲揚陸艦は佐世保にある。したがって、抑止力のために沖縄には海兵隊が必要で、そのために辺野古に新基地を建設しなければならないという主張は、全く説得力がないと言わざるを得ない。

 

 去る11月8日、9日の沖縄の地元紙は、在沖海兵隊の問題に関する衝撃的な事実を報道した。1972年10月、米国は沖縄を含む太平洋地域からの海兵隊の撤退を検討していたというのである。

報道によると、米国は当時、ベトナム戦争への巨額な戦費の支出で財政負担に苦しみ、基地機能の見直しを進めていた。その一環として、海兵隊の撤退も検討されたとのこと。にもかかわらず、日本政府が海兵隊の駐留維持を米側に求めたため、在沖米軍基地を大幅に縮小する機会が失われ、その後の防衛費の分担を迫られる契機にもなったという。このことは、沖縄国際大学の野添文彬講師がオーストラリア公文書から発見した資料によって明らかになった。

 野添講師が発見した資料には、日本側が海兵隊の役割など実態論を踏まえず、一方的に抑止力を期待したことで、米側は駐留を維持する方向に舵を切った過程が鮮明に記録されている。そのことは後に、米軍の駐留経費の負担などを日本側に求めるテコとして米国が利用していくことにつながる。

 

 

5、不平等な日米地位協定

 

沖縄では米軍基地がある故に米兵らによる事件・事故が後を絶たず、県民の人権や平和な生活が常に脅かされている。たびたび問題となるのが、米軍側を優遇した日米地位協定の存在である。米国がどのような主張をしようとも、国民の人権や生活を脅かすような米軍の運用は改めるべきである。そのためにも日本は主権国家として、日米地位協定の抜本的改定を米国と交渉すべきである。

 

 普天間飛行場の返還が検討されるきっかけになったのは、1995年に発生した米海兵隊による「少女暴行事件」だった。当時、米側が先に容疑者の米兵3人の身柄を拘束。沖縄県警が容疑者の身柄の引き渡しを要求したものの、日米地位協定を盾に拒否され、県民の怒りが爆発した。

 米軍基地が集中している沖縄では、米兵らによる事件・事故が多発している。そのたびに問題となるのが日米地位協定の存在だ。日米地位協定は、米軍側に治外法権的な権利を認めており、常に県民の生活と人権が脅かされている。

 このため、沖縄県をはじめ、公明党沖縄県本部や県内の各種団体が、日米地位協定の改定を何度も求めているにもかかわらず、日本政府は米軍側に裁量権がある形での「運用改善」に終始するのみで、一度も改定に踏み切ったことがない。こうした県民の命を軽視するかのような日米両政府の対応に、県民は怒り、そのマグマが今、頂点に達しているのである。

 

 日米地位協定と共に米軍の運用を過度に認めた砂川判決は、50年以上が経過した今日なお、大きな影を落としている。

 1959年の砂川判決で、最高裁判所は、一審での米軍は憲法違反という伊達判決を覆し、在日米軍は合憲、米軍の運用については司法審査になじまない「第三者行為論」とした。それにより、米軍の運用に関する裁判で司法は判断を回避するようになった。この影響は今日の爆音訴訟が如実に物語っている。爆音被害や被害補償は認めるものの、爆音発生の原因である飛行差し止めについて司法は判断しない。

 

 沖縄では今も、米軍による人命にも及びかねない危険な訓練が日常的に行われている。主権国家として、国民の命が危険にさらされている状況を放置すべきではない。そのためにも、米軍機の危険な運用を見直し、日米地位協定の改定を求めて積極的に米側に働き掛けるべきである。

 

 

6、懸念される辺野古の永久固定化

 

辺野古は、かつて沖縄が米国施政権下の1966年に、米海軍により辺野古新基地建設調査報告書と設計図が作成されたこともあり、以前から米軍の基地建設が検討されていた。普天間の危険性除去に名を借りた移設計画とすることで、移設費用を含めて日本側に負担させる狙いであると言われている。政府の言う「危険性の除去」とは、住民のためではなく、事故が起これば基地の運用に支障が出る危険性を除去するためのものではないかという指摘も県民の中にはあることを記しておきたい。

森本敏元防衛相の著書の中で触れられているように、辺野古に新基地が建設されれば、今も傍若無人に沖縄の空を飛び回る24機のオスプレイが、100機に拡大され、県民の目の届かない場所で基地機能が強化されていくのではないかと懸念されている。

このまま普天間の辺野古移設が進められれば、今まで以上の運用、訓練により、基地被害は増え、やんばるの自然は徹底的に破壊されてしまうことは、これまでの米軍の運用を見れば明らかである。まさに辺野古移設は、沖縄を軍事要塞化する契機となってしまうのではないか。

 

 

7、未来への展望――軍事拠点から平和交流拠点としての沖縄へ

 ここまで、在沖米軍基地の歴史的背景、過重な基地負担、そして、その解決方法について、わが公明党沖縄県本部としての、主張、提言を申し上げてきた。沖縄県民は、基地の島としての沖縄でなく、平和の島・沖縄として21世紀を生きていきたいのだ。

今や、沖縄の地理的優位性という言葉は、軍事的側面での意義ではなく、むしろ、アジアの十字路として、わが国の平和の創造に貢献できる地理的環境として評価されている。沖縄の持つ自然や歴史と文化、ホスピタリティ、また経済交流や環境対策への取り組みなどは、アジア諸国からも注目されており、わが国との信頼関係を醸成する場になり得る。沖縄をアジア太平洋地域における我が国の平和外交拠点として積極的に位置づける外交戦略の構築を求めるものである。

 

結びに、知事意見は「不承認」を求める

 

公明党沖縄県本部は、普天間飛行場は「県外移設」を追求すべきであると、あらためて訴えるものである。2030年の沖縄の目指すべき将来像を描いた沖縄21世紀ビジョンには、基地問題がなくなり、平和で豊かに暮らせる沖縄の姿が示されている。県本部として、この21世紀ビジョンの実現に仲井眞知事と共に全力を挙げて取り組んでいく決意である。

 

仲井眞知事におかれては、「辺野古移設案の実現は事実上不可能。県外を探した方が早い」というこれまでの主張を貫徹し、政府から求められている「知事意見」については「不承認」とするよう求める。

 後世の歴史に誇れるようなご判断を期待し、公明党沖縄県本部の提言とする。