† BACK †
"Dangerous Dinner"
「ハァ……どうしよう……」
婦警セラス・ヴィクトリアは、冷蔵庫をのぞきこんでため息をついた。
地下にあてがわれた、薄暗い、自室の隅っこ。そこにちょこんと座り込んで、冷蔵庫とにらめっこしている。
「ノドが渇いてしょうがないって言うのに……」
ぼやきながら手にしたコップを口へと運ぶ。
が、それを一気に飲み干しても、彼女の表情に満足の色は浮かばない。
「ダメ……水なんかいくら飲んだってダメだわ……」
ではどうすれば、何を飲めば癒されるのかは知っている。知りたくもないことだが。
「マスターにこんな身体にされちゃってから、最近だんだん普通の食べ物も喉を通んなくなってきちゃったし……ハァ……あたしってなんて不幸なんだろ……」
セラスは我が身の不幸を呪った。ついでに今後の我が身の行く末を悲観したりもしてみる。
「このままじゃあたし、しまいには血とトマトジュースしか飲めなくなっちゃうんだ……それでだんだん声も妙に甲高くなってきて、ついでにザマス口調なんかにまでなってきちゃって……『さあ、はじまるザマスよー!』って……」
あまり嬉しくない自分自身の未来予想図を頭の中から追い出すように、セラスは強くかぶりを振った。そうやって思い悩んでいるうちにも、喉の渇きは容赦なく喉元を締めつけてくる。今はともかくこれを何とかしなくてはならない。
「もう……ホンモノの血を飲むしかないのかなあ……」
こんなことならせっかく支給されていた医療輸血血液を捨てたりするんじゃなかった――などといまさら後悔しても遅い。あのときは絶対に血なんか飲まないと思っていたから。
「……こうなったらもう仕方ない……わよね」
誰に言うともなく――おそらくは自分自身に言い聞かせるためだろうが――ひとりごちると、セラスは冷蔵庫のドアを閉めてすっくと立ち上がった。
「こうなったらもうやるしかないじゃない……」
ヘルシング局長室。
その部屋の主であるサー・インテグラル・ウィンゲーツ・ヘルシングの身体は、今は正面中央の執務机ではなく、隅に据えられたソファに委ねられていた。
もの憂げに頭を揺り動かすと、豪奢なブロンドの髪が褐色の額にこぼれ落ちる。それをすっとかきあげながら、インテグラは軽く安堵の息を洩らした。
「ふう……」
たった今、今日の仕事をほぼ終えたところだ。あとは外へやった部下からの報告を受けるだけだ。それまで一息つかせてもらうとしよう。
そう思った矢先のことだった。ドアの向こうから控えめにノックされる音が響いてきたのは。
「ウォルターか?」
インテグラはソファにもたれたまま、ドアの向こうにいるはずの部下の名を呼んだ。
「……あ……あの」
すこし間を置いてから返ってきた声は、予測していた男のものではなく若い女性の声であった。だが知っている声だ。
「なんだ婦警か。どうした?緊急事態か?」
声の様子からしてそうではなかろうと思いながらも、いちおう聞いてみる。
「いえ……そういうわけじゃ……」
「まあ入れ。ドアは開いている」
また少しの間を置いてから、ゆっくりとドアが開かれる。
「あの、その……お忙しいんでしたらいいんですけど……」
半ば扉に身を隠すようにして遠慮がちな面持ちだけをのぞかせながら、婦警がぼそぼそと尋ねてきた。いまさらそんなに恐縮することもなかろうに、と怪訝に思いながらも、
「まあ座れ」
インテグラはソファの、自分の座っている横をぽんと叩いた。
婦警はおずおず入室してくると、インテグラが叩いたところより少し離れた場所にちょこんと腰掛けた。なにやら緊張しているらしく、姿勢も硬い。
婦警の態度をいぶかりながらも、つとめて表には出さないようにしながらインテグラは気軽さを装いつつ話し掛けた。
「私もついさっき仕事に一区切りついたところでな。ちょうどよかった」
「は、はい」
婦警はこちらと視線を合わせようとしない。じっとうつむいたまま、思いつめたような眼差しを床に這わせている。
「……で、なんのようだ?」
これではらちがあかないと早々に見切りをつけたインテグラが本題を切り出すと、婦警はビクッと身を震わせてから、こわごわとこちらを振りかえった。なぜかほんのり頬を赤く染めて。
「あッ、あのッ、インテグラ様」
「ん、なんだ?」
インテグラが向き合うと、婦警はまた顔をそむけてしまう。
ここまでくると、なんとなくわかってくる。要するに婦警は何事かを恥ずかしがっているのだ。だがいったい何をそんなに恥ずかしがっているのか、それがわからない。
怪訝にのぞきこむインテグラの眼差しから顔をそらしつつ、婦警は指先同士をこねくりあわせてごにょごにょとつぶやく。
「あ、あの、ですね……あ、あたし……その……マ、マスターに、その……こんな体にされちゃってその……」
「こんな体?ああ、吸血鬼にか」
「ええ、そ、そうそうそう、吸血鬼にです」
婦警はうつむいたまま、こくこくと頷く。
「それで……その……吸血鬼にされちゃったってことはその、あたしにはその資格があったわけでその……私はまだ――なわけで……」
「なに?なんだって?」
インテグラは耳を寄せて聞き返した。婦警はますます顔を赤らめて、さっきよりもさらに小さく声を震わせる。
「ですからその……―女なわけで」
「ああ、処女か」
インテグラがきっぱり言うと、婦警の顔からぼっと湯気が立った。婦警セラス・ヴィクトリア19歳。純情。そして恥ずかしがり屋さん。
それでも婦警は顔を紅潮させながらもぼそぼそと喋り続ける。
「それで……あたし……男の人とかはまだちょっと苦手で……それに今ここにはインテグラ様しかいなくてその……」
「?」
インテグラは小首をかしげた。婦警が何を言わんとしているのか、それが良く分からない。男性関係の相談にでも乗ってほしいと言うことだろうか。
と考えを巡らせかけた矢先、いきなり婦警がガバッとこちらを振り向いてきた。
「あのッ、インテグラ様ッ!」
インテグラは驚いて婦警を見やった。やっと互いの目がまともに合わさる。婦警のどこか切なげで思いつめた眼差しがじっとこちらを見詰めている。
インテグラは妙な悪感を覚えてのけぞった。
前にもこんな目をした女性局員に言い寄られたことがあったのを思い出したのだ。それも一度や二度、一人や二人ではなく。ひそかに悩みの種だったりもするのに。
「あ、あのな、婦警」
インテグラはこれ以上近付かれないように、両手で遮るようにしながら、
「べ、別におまえの趣味や好みをどうこう言うつもりはない。ただ私は普段から『男?』とか『モンティナ・マックス?』とか、ひどいときには『ムスカ?』とさえ言われてるが、決してそっちの趣味はないんだから、そういうことはほかの誰かと――」
「駄目なんです!」
婦警は強くかぶりを振った。
「あたしインテグラ様じゃなきゃダメなんです!」
おまえもか婦警!?インテグラの心の叫びは、だが目の前の少女には届いていない。逆に婦警の真意もインテグラには伝わってないわけだが。
婦警がぐっと顔を寄せてくる。互いの息が触れ合うほどに。既に死人である婦警の吐息は冷たいはずなのだが、インテグラにはやけに熱く感じられた。
「なっ!?ちょっ、婦警!?」
とっさに身の危険を感じたインテグラは婦警を押しのけようとする。しかし同時にもっと強い力が彼女を押し倒していた。
「インテグラ様!」
「うわっ!?」
ソファに倒れこんだインテグラの上から婦警が乗りかかってくる。そのまま激しいもみ合いとなった。
「なっ!なにをする婦警!?バカよせやめろっ!」
「ごめんなさいインテグラ様!あたしもう我慢できないんです!欲しいんですインテグラ様が!」
誤解を助長するような発言が婦警の口から飛び出す。正確には「インテグラ様の血が」だ。もっともインテグラにとっては大した違いではないのだろうが。
「いやっ!やめてお願い!」
インテグラの声に怯えが混じる。必死で抵抗しているのだが、吸血鬼である婦警の尋常でない腕力の前にはなすすべもない。
「いやあっ!あっ!?だっダメっ!そんなとこっ……ああっ!」
「お願いですちょっとでいいんです痛くしませんから!」
「やあっ、いたっ、痛いやめっ……あうっ」
「じっとして!」
「いやっ!いやあっ!たっ助けっ、助けてお父さまっ……ウォルター!」
ウォルター・クム・ドルネーズはヘルシング機関の優秀な一員である。老練、ヴェテラン――ヘルシング機関においてそう言った表現は、この老執事以外に用いてはならない。そう、老執事。彼、ウォルター・クム・ドルネーズは王立国境騎士団ヘルシングの一員であると同時に、ヘルシング家すなわちインテグラ個人の執事でもあるのだ。
アーカードはその老執事に半歩遅れて並んで歩いていた。
共に行き先は同じ。局長室だ。
だが互いに言葉を交し合うことはない。二人の男は無言のまま静まり返った廊下に足音を響かせ続ける。
と、ウォルターの歩みが不意に止まる。
アーカードもほぼ同時に立ち止まっていた。前方からの異様な気配――
ほんの一瞬互いの視線が交錯し合い、そのことを確かめ合う。
局長室の扉は目前にまで迫っている。その向こう、すなわち室内から尋常でない物音。争い合う音。人数は――二人。イスカリオテの刺客?それともミレニアム!?
ウォルターはすばやくドアの真横に張り付き、懐へと手を滑り込ませた。そこに彼の武器が収められているはずだ。
アーカードはそのまま数歩前進しながら懐から銃を取り出す。13mm爆裂鉄鋼弾。これを喰らって平気な化物などいない。
そのままドアの真正面に立つ。不死の肉体を持つ彼には、室内から放たれてくるやも知れぬ敵の銃弾を警戒する必要はない。
もう一度ウォルターと短く視線を交わすと、アーカードはすぐさまドアを蹴破っていた。
予想された敵の反撃もなく、悠然と室内への進入を果たす。そこで彼が見たものは――
「……なにをしてるおまえら……?」
ソファにあられもない姿で横たわっているインテグラと、その上にのしかかっている婦警の姿であった。
「マッ、マスターッ!?」
ドアが蹴破られた瞬間、婦警はバネ仕掛けのような勢いで飛び起きると同時に振り返っていた。
「あッ、あのそのッ、これはそのッ」
顔面を真っ青にして錯乱気味に両手をわたわたさせている婦警を無視して、アーカードはその下でソファに突っ伏しているインテグラの姿を観察した。
いつもの黒いスーツも白いシャツも肩のあたりまではだけさせ、褐色の肌が剥き出しとなっている。強引に引きちぎられたのか、ボタンが幾つか飛んでいるようだ。あらわとなった肩からうなじ、首筋にいたるまで、そこかしこに噛み痕やらキスマークやらが付けられている。なんとも痛々しい。ちゃんと噛みぬけてないものが多いが、まあ吸血初心者にはよくある、言うなればためらい傷のようなものだ。
なんとなく事情は分かった。わかったのだが、
「ずいぶんと熱烈だな、婦警。おまえらいつからそんな関係になったんだ?」
アーカードは少しからかってやることに決めた。
婦警の顔がおもしろいくらいにはっきりと、真っ青から真っ赤へと切り変わる。
「ちッ違うんですマスター!あたしどうしても我慢できなくてそれで――」
「そうか、そんなに思いつめていたのか」
アーカードは口元に冷ややかな笑みを浮かべつつ、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「俺としても、おまえの性的傾向についていちいちとやかく言うつもりはない。なにせおまえもれっきとした英国人だしな。MI6のなんとかという少佐など――」
「ああッ、マスターそれ誤解です!すっごく誤解してます!」
「だがな婦警」
婦警の弁明をまったく無視する態度をとりつつ、アーカードは銃をかまえなおした。
「マスターであるところのこの俺をさしおいてインテグラに手を出そうとは、先走りが過ぎるんじゃないのか?ええ?」
「だッ、だからあたし何もやってませんってば!」
「……やったもん……」
か細い、今にも泣き出しそうな声がソファの奥からもれてきた。インテグラだ。
インテグラはずるずるとシャツをずり上げながら身を起こすと、しゃくりあげながら訴えた。
「わっ、わたしはっ……ヒック……嫌だって言ったのに……グスッ……ふっ、婦警がむりやり……」
やがてそれははっきり鳴咽へと変わってゆく。
「はっ……初めてだったのにぃ……ふっ……ふぅえっ……ふええぇぇぇぇん」
とうとうインテグラはぼろぼろと涙をこぼして泣き出してしまった。いつもの毅然とした姿からは想像もつかないような、少女のような泣きっぷりで。
「ああッ!?ちょっとインテグラ様!?泣かないで下さいよ!」
婦警は大慌てでなだめようとする。とにかくちゃんと座らせて、上着も着させて、涙を拭いて――
「ねえちょっとねえってばインテグラ様ねえ!?」
「えっ、えっく、えぐっ……いっ、痛くしないって言ったのにぃ……セラスのばかぁ……うそつきぃ……うええぇぇぇぇん」
「ああんゴメンなさいゴメンなさいインテグラ様ァ〜〜」
「うええっ、えっく、ぐしゅ……ぐしゅん……とっても……痛かったんだからぁ……ヒック……」
「ほら痛くない痛くない。もう痛くないでしょ?だからもう泣かないでほら、ね?」
などと婦警はおろおろ背中をさすってやったりしてるのだが、インテグラはいっこうに泣きやんでくれそうにない。
――と、
シュピイイイイン
鋭利な刃物が空気を切り裂くような音。
と同時に背後から物凄い殺気を感じて、アーカードはぞっと肩越しに振り返った。
そこに立ち尽くしたウォルターの両拳の間でギラリと光る鋼線。それが空気を震わせた音だった。
うつむき加減のウォルターの表情を伺うことはできないが、その必要もなかろう。血が出そうなほど固く握り締められ、しかも小刻みに震えている拳がすべてを語っている。
「ああああ、あの、ウォルターさん、これは誤解、そうゴカイです。ああああたしはけっしてそのインテグラ様をあのそのあのののの」
婦警もちゃんとわかっているようだ。全身、とくに顔面から滝のように冷や汗を流れさせながら必死で釈明している。
「あわわわですからそのあたし――」
「セラス」
遮るようにウォルターの口から発せられた音声は、もはやいつもの老紳士然とした穏やかなものではなかった。かつて「死神」と呼ばれた頃のそれ――
「はッ、はい!?」
婦警は思わず起立気を付けで応えていた。
「小便は済ませたか?」
「はぅ」
婦警には即座にウォルターの言った意味が理解できなかったのだろう。半分きょとんと表情を強張らせ、喉の奥から引き攣った声を漏らした。
が、何をしようとしているのかは、いやというほど理解できたらしい。次の瞬間には顔面からサーッと血の気が引いてゆくのが傍目にも分かった。
ウォルターは本気だ。すなわち、お嬢様を汚した者には死あるのみ。
カツン、
不気味な靴音を響かせて、鋼線をかまえたウォルターが一歩前に出る。その圧倒的な迫力に、アーカードは思わず道を譲っていた。
「あ、あは、あはははは、はは、は、は、は」
婦警は笑っていた。引き攣った顔面に引き攣った笑みを貼りつかせ、引き攣った声で。あまりの恐怖で気が触れた人間の中にはたまにこういった反応を示す者がいることを、アーカードは経験上知っていた。
婦警セラス・ヴィクトリア、後に述懐す――「怒ったウォルターさんはアンデルセン神父の兆倍怖いっス」。
カツン、
また一歩、ウォルターが歩を進める。
「神様にお祈りは?」
「はは、は……あの……冗談……です、よ……ね?」
返事はない。かわりに――
カツン、
三歩目。
「〜〜〜〜ッ!」
婦警は涙のたまった目ですがるようにこちらを見てきた。アーカードは胸の前でただ静かに十字を切った。今は祈ろう。この憐れな婦警のために、今はただ静かに祈ろう。
つまりは見捨てた、ということだが。
それに気づいてぶわっと涙を溢れさせる婦警の目の前で、鋼線がギラリときらめく。あと一歩で射程距離内だ。ウォルターの口から最後の一言が発せられた。
「部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ」
婦警はただもうふるふるいやいやと首を横に振るだけだった。あっちこっちに涙を撒き散らしながら。
そして――
カツン、
最後の一歩。
「ッッッキャアアアアァァァァ〜〜〜〜ッッッッ!」
深夜のロンドン、ヘルシング本部。
夜の静寂を引き裂いて、断末魔の絶叫がこだまする……
――エイメン。
ギャフン
END
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