| 1970年代に原油価格の急激な高騰が起こった。石油ショック(Oil
Shock)ともいわれ、日本でも経済に大きな打撃を受け『狂乱物価と』『マイナス成長』を経験する。日本でははトイレットペーパの買占め騒動、ガソリンスタンドの休日休業やネオンサインの夜間23時までの制限までになった。石油危機を契機に世界的なエネルギー節減運動が起こりました。 石油切手で紹介します。 |
10月6日にエジプト軍がスエズ運河東岸、シリア軍がゴラン高原に進撃して、アラブ諸国対イスラエルの第四次中東戦争が勃発しました。15日には、サウジアラビア軍も参戦して、アラブ側参戦国は10ケ国に達しましたが、アメリカの巨大な軍事力を背景にしたイスラエル軍がアラブ側を圧倒しました。 17日にOAPECのクウェート、リビア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、アルジェリア、カタール、バーレン、いらく、しりあ、エジプトの十カ国が石油戦略を発動しました。これらの国々は親イスラエル国に対して石油輸出禁止政策を断行しました。石油価額の高騰で得た石油収入をイスラエルと交戦しているエジプト、シリアの財政援助にまわしたのです。石油戦略によりオイルショックが世界の産業界に襲いかかりました。その後も次々と原油生産削減、石油禁輸が実行に移されました。この政策によりアラブ側はそれまでの圧倒的不利な状況を覆したのでした。 皮肉なことに石油危機に乗じた原油値上げによりメジャーは空前の利益をあげ、このことがイスラム諸国の大衆に一層の貧困をもたらすという現象となりました。 しかし、原油価格は1972年末と比較して3$/Bから12$/Bと約5倍近くに値上がり 世界経済に大打撃を与えました。 その後エジプトが単独でイスラエルとの共存路線を模索し始めたこともあり、アラブ諸国全体の占領地^返還などにはつながりはしませんでした。 |
10月6日戦争16年記念 |
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10月6日戦争1周年記念 |
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イラン・イラク戦争 第二次オイルショック
| 欧米や保守的アラブ産油国(サウジアラビア)は、1979年のイラン・イスラム革命以来、他国にもイスラム革命が波及することを恐れ、隣国イランにけしかけることにしました。以前からイラン、イラクの国境線に不満をもっていたイラクのフセイン大統領は、欧米やアラブ保守国の援助を受けてイランに武力侵攻したました。その後両国の泥沼戦争は9年続きます。 イラクはこれらの国々からの援助によりアラブ最大の軍事大国にとなり、フセインの野望は後の湾岸戦争へ繋がっていくのです。 両国の原油の輸出がストップしたため石油価額は2次ショック以前の13$から24$/Bと2倍になりました。 その後、値下がりします。 |
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湾岸戦争 第三次オイルショック
| 1990年8月から1991年2月まで比較的短期間であったが、イラク軍のクウェート侵攻により、一時中東湾岸諸国からの原油輸出が停止、終戦後もイラクからの輸出が制限された。原油価格は17/$BARRELからピークは37/$BARRELに高騰した。 |
| ガソリン不足に乗用車はガソリンスタンドに長い列を作りましたし、給油数量制限の看板も立てかけられていました。 二十世紀シリーズとして発行されました。 |
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![]() グレナダ |
![]() マーシャル島 |
![]() セネガル |
世界中にエネルギー節減運動が起こりました
| 石油1バ−レル=20ドル時代を迎え、西側各国は石油消費の抑制とエネルギー源の多様化を図り、コスト削減が徹底されました。 これに対して共産圏は低廉なエネルギーを用いた為に、産業理化を怠りました。このことが1985年以降、原油価格の下落により 東西産業の格差を広げ1989年の東欧革命で共産政権の倒壊を招いたのです。 |
![]() ブラジル |
![]() スペイン |
![]() ドミニカ |
![]() アメリカ |
![]() モロッコ |
![]() インド |
![]() ドミニカ |
![]() ドミニカ |
![]() スイス |
![]() 南アフリカ共和国 |
![]() フランス |
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![]() オランダ |
![]() ルクセンブルグ |
![]() アンチレン |
![]() ハンガリ− |
電気エネルギーを節減の題材にしています。日本でも1981年8月にリサイクルをイメージして2種類が発行されています。電気エネルギーについては、全てが石油の転換エネルギーではありませんので直接的に石油節減の訴えでないかもしれません。
![]() 韓国 |
![]() 日本 |
![]() ギリシャ |
![]() ギリシャ |
![]() 旧東ドイツ |
![]() ドイツ |
![]() スペイン |
![]() セネガル |