フランス音楽業界情報

フランスにおける音楽産業の背景

1.80年代のジャック・ラングによる文化政策にかんして

日本の文化政策、特に日本のコンテンツの海外進出の弱さとテクノ・ミュージックまでもフランスの文化として貪欲に輸出するフランスとの違いは何なのでしょう?これは話を25年前までさかのぼりフランスの文化政策を語る上で忘れてはならない人物、それはミッテラン社会党政権時代の文化大臣ジャック・ラング(1981年〜1993年入閣。ただし86年〜88年を除く)当時まだ30代の若手大臣による文化政策によるところなのです。社会党はこれまでの政府との違いをはっきりさせるため、自分たちの意図するにふさわしい組織や財源を文化に与えたいと望んだのでいたのです。まずは彼は文化予算は2倍にしその取巻くアートの範疇も拡大させ経済の仕組みの中に浸透させ政策を行なっていきました。またこの時代に新しい凱旋門やバスチ―チュのオペラ座、国立図書館などの建築物ラッシュにもなったのです。
1982年に文化予算は2倍になり、そして段階的に上がって行き1993年には2500億円、2001年には2918億円になっているのです。同じ2001年で日本の文化予算は909億円、国民数と国家予算がほぼ倍である日本と規模を比べると実質的には6倍以上の差があるのです。国家予算比率で日本は0.11%、フランスは1%に相当、日本の文化予算は先進国の中でもかなり貧しいほう。
これは当時のフランス政府にとっても革新的な出来事でどの政府予算よりも毎年文化予算がものすごい勢いで伸びていったのです。美術館関係で22の団体を立上げ現代アートでも22の団体を立ち上げました。こうした予算的拡大は地方自治体にも当然影響を及ぼし結果的にパリ一極集中的であった狭いフランスの文化力をフランスの地方全土にまで新たなパワーを送り込み、設備の一新、新たな教育体制の拡充、レベルの高い映画専門教育学校、新たなコンセルバトワールの設立など12年間に8000以上の政府機関における芸術専門担当官の雇用を増やしたのです。こうした政策の中でそれはたとえアメリカから流入したラップ・ミュージックであっても文化として認識され、支援の対象とし、それ以外でもシャンソンならば“ブールジュの春”、ロック・ミュージックならば“ロックの祭典”というようにイベントを催し、名もなきミュージシャンたちに活動の場を与えていきました。そしてFete de la musique (6月21日に開催される)というフランス全土がプロ・アマを問わず音楽で満たされる一日をつくりました。この日は、様々な音楽がフランス全土で響き、移民たちが故郷の音楽を演奏するなど、音楽の上での文化交流の日にもなっているのです。こうした政策を通じて「新たな試みを予算や前例がないことを理由にやらせないのではなく、新たな試みは政府、企業、個人が支援し、実行させる」というというプロセスを実践し、「自らが芸術のつくり手にも受け手にも成り得ることが、芸術文化をより一層人々の身近なものにしていく」という形式を作り上げていったのです。
ジャック・ラングの目的はいわゆる「文化の民主化」であり「洗練されたパリの芸術文化をフランス国民が均しく享受できるようになる」事で地方の文化力を高め、移民文化とも混ざりあって行く中で総合的にフランスの文化力を高めるのが目的であったのです。
こうした状況は日本の建築家、安藤忠雄が言うところの「フランスは世界中の想像力を貪欲に楽しむ」という言葉集約されている気がします。また現在様々な音楽シーンへの支援があるのもこの時代の政策が歴史的背景にあるからだと言えます。


ジャック・ラングのブログ
http://www.jacklang.net/


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