水が蒸発して「いまだっ!」という頃合いがあり、すかさず粉末ソースを投入。
「ちりちり」と音がする…この醍醐味。う〜ん、日清焼そば!☆☆☆うまい。
以前、「わたしのアイドル・食品編」の回に書き漏らして気になっていたアイテムがある。どうにも気持ちが悪いので、くだらないことだが今回書いてサッパリさせていただこうと思う。それは何かといえばインスタントの「日清焼そば」なんである。正確にいえば、書き漏らしたのではなく、外したのだ。なぜかというと、この食品に、そーですそーですと頷いてくれる読者は、いまどきかなり少ないであろうと予測されたからだ。でも、ハマる味なんですコレが。
「日清焼そば」なんである。実は今日、久々に食してしまったのだ。それもたて続けに2食も(一度には作らない、別々)。手前の手で調理して食べると、選から外したことに申し訳ない気持ちが、ずずいと湧きだしてしまった。
みなさんはご存知か?「日清焼そば」。テレビを見つけないもので、最近この商品のコマーシャルが流れているかどうかは知らない。しかし私がワカモノの頃は「♪〜日清焼そば、焼・こ・う!」というCMソングにのせて、盛んに宣伝していたものである。フライパンにコップ一杯強の水を入れ、沸騰させる。そこにインスタントめんを入れ、ほぐす。すると、蒸発する水分と乾麺が吸収する水分で、フライパンの水がどんどん少なくなる。その後、私流に言わせていただければ、「いまだっ!」という頃合いがあり、すかさず粉末ソースを投入。ここからは一瞬たりとも目が離せないし手も離せない。包装に書かれた「作り方」の表現、「ちりちりと音がする…」が好きなのだが、この最期のタイミングがいかようにも味を左右するのだ。ん〜、この緊張感がなんともいえないんだなあ。
後に同社から世界初のカップ焼そば「UFO」が発売されたとき、あたしは考察した。確かに「UFO」には乾燥野菜の具は付いているうえ、フライパンや皿も要せず革新的ではあるが、本質的な調理過程は「日清焼そば」のほうがテクニックを要し、その分、好みの味に仕上げられる選択肢がある。「チキンラーメン」が、鍋で煮るとさらに美味しく召し上がれますというのとは、やや次元が違うのだが、これはまあいい。とにかく仁鶴、この最期の何秒かのタイミングのみで、いろいろな風味に仕上げることが可能なのである! そしてフライパンから手早く皿に移し、添付薬味の青のりをフリカケてササさっと食するのである!(以前にも書いたと思うが、あたしはインスタント食品には、有り合わせの野菜や具を入れないで、商品の内容のみで食することを身上としている)
独特の味わいなのである。旨いと思うか不味いと思うかは人によりけりだろうが、取りあえずこれを「焼そば」と呼んでいいのであろうか? 詐欺に当たるのではないか? などと考えつつ食せるので、週刊誌新聞など無くても食事が終わる。当時の経済事情や色恋事情など、まあ野暮風情と言うようなものが走馬灯のように回りながら加味されてではあるが、あたしにとってはなんとも摩訶不思議な独特の、思い入れある味わいなのである。難はといえば、調理後フライパンにカナラず麺が焦げ付く。ので、やもめの一人暮らしには鬱陶しい食後の作業を覚悟しなくてはならないことか。かといって焦げ付かないような水分多めの作り方をするとこれが旨くないんだ。ここが「日清焼そば」のジレンマなのである。ま、この面倒のせいで、割高なカップ製品に主流を奪われてしまったのであろうけれど。
やや逆上してしまって、過剰な贔屓をしているきらいもあるけれど、弁解すれば、この「日清焼そば」、あたしら〈全共闘後〜共通一次試験前)の世代にとっては、単に食品としてだけではない、副文化的思い入れも入るのだ。和製フォークロック華やかなりし頃、シラケひねこびた若者が朝までたむろする音楽酒場の唯一の空腹除去メニュウ「焼そば」が、この「日清焼そば」であることが多かった。当時その手の酒場では「味」の価値など、からきし重要視されていなかったからだが、そんなことも贔屓の要因のひとつなのではある。
手先生き様不器用なあたしが、何がどしたかトチ狂い、「飲み屋」でも開店する羽目になったとすれば、肴にはコンビーフと南京豆を供するあたりが関の山であろう。しかし、しかし店の隅っこに、この、「日清焼そば」の袋を5つぐらい積んでおく。品書きには載せない。すっかり出来上がり小腹が空いた呑兵衛が哀願の視線をあたしに飛ばしてきたら、気合を入れ注意を怠らず、最上の「日清焼そば」を焼いて供したい。うん、一調理一食。一食作るごとに奇麗にフライパンを洗うことを約束する。