蒸気動車 日豊線
大正〜昭和



細島線に蒸気動車投入
〜キハ6412、キハニ6455〜

明治村に保存してある蒸気動車  日豊線の支線、富高(日向市)〜細島3.5キロを結ぶ臨港線「細島線」は大正10年10月11日に開業した。この旅客運転のため、大正末〜昭和初期にかけ、現在のディーゼルカーの祖先といわれる、蒸気動車が投入された。客車の一端にB形蒸気機関車がくっついた車両だ。旅客数がそんなに多くない(※蒸気動車1両=定員70〜72人)路線ならば、機関車の付け替えが必要ないとあって、短距離の輸送にはもってこいだった。今でいうフリークエントサービスの担い手だった。
6往復→12往復へ 8620型蒸気機関車が客車を牽引していた大正12年12月には富高〜細島間6往復だったが、蒸気動車が投入後の昭和5年には10往復に増加。時刻表の「気動車」のマークも誇らしげ。昭和14年には12往復に増加した。所要時間は8分。ただ、蒸気動車の老朽化が進んでおり、最後の活躍だった。
 蒸気動車が引退し、再び機関車牽引になると、太平洋戦争が激しくなったこともあり、昭和19年にはわずか4往復。戦後の昭和22年も増加せず。31年には、ホンモノの気動車時代になり、下り5本、上り6本になる。所要時間も5分になる。しかし、蒸気動車時代の12往復に戻ることはなかった。昭和47年には旅客営業廃止、貨物線になる。JR貨物に移管されたが、平成元年12月休止、同5年12月で廃止。細島駅も平成13年8月に解体された。昭和初期が細島線の一番華やかな日々だったかもしれない。
【昭和14年細島線ダイヤ】
駅名901903905907909911913915917919921923
延岡5:3612:40
富高6:086:358:2211:1013:1414:2015:2516:4217:5018:5020:2021:06
細島6:166:438:3011:1813:2214:2815:3316:5017:5818:5820:2821:14
駅名902904906908910912914916918920922924
細島6:187:4610:3211:4513:4215:0516:2417:1718:2720:0020:4821:40
富高6:267:5410:4011:5313:5015:1316:3217:2518:3520:0820:5621:48
延岡12:2622:25


蒸気動車の歴史
 蒸気動車は明治末期から、国内で運転が始められた。客車の一端にBタンク蒸気機関車を載せたようなもの。最初は“汽動車”といわれた。製造されたのは22両で、地味に働き、人知れず消えていった。愛知県の明治村にキハ6401が保存されている。
 九州では、北九州を中心に運転されてきた。博多湾鉄道のガンツ式蒸気動車2両を鉄道院に編入したもので、門司〜八幡、小倉〜黒崎。明治44年には八幡〜折尾、折尾〜仲間、中間〜香月と筑豊地区の支線区で運転された。
距離30キロを30分で走るのはお手の物。時速60キロは十分だった。動輪の小さいBタンクにしては以外と速いのだ。
 キハ6410形
自重(t)23.53
定員(座席)72人(36席)
シリンダ径×
行程(mm)
203×305
圧力11.2kg/cm2
水槽1.5m3
燃料0.34t
製造汽車会社 大正2

※キハ6450=定員70(44)
★ホジ→ジハ→キハ
 国産の工藤式蒸気動車は汽車会社(川崎重工)の設計掛長の工藤兵次郎氏の設計だ。明治45年に8両、大正2年3月には4両(ホジ6013〜6016)。8月には6両(ホジ6060〜6065)が竣工した。
 最初はホジだが、大正3年の改正で、ジハに、さらに昭和3年の改正でキハになった。ややこしい。
【蒸気動車の国鉄保有数】
 大正2年=22両
 大正6年=20両
 大正7年=18両〜〜昭和21年=1両(西唐津)

キハ6412、キハニ6455を富高駅配置
 国産蒸気動車ホジ6060-6065はすべて九州に配置された。大正2年9月に吉塚〜篠栗で運転。山本〜岸嶽、山本〜西唐津、幸袋〜二瀬、4年5月には二日市〜久留米、6年10月には折尾〜中間に拡大した。

 門司鉄道管理局には12両が在籍。下関、直方、西唐津、鳥栖、鹿児島、若松、南延岡区で活躍した。キハ6410(←ジハ6060)のほか、大正6年にはキハ6400、6401、大正13年にはキハニ6454、6455が転属してきた。

 キハ6412、キハニ6455は富高駅配置とし、細島線・富高〜細島間で運転された。その後、南延岡区に移り、南延岡〜富高〜細島運転となる。戦争のはじまるころまで、活動した。蒸気動車の日豊路での活躍は約15年。ガソリンカーの登場で消えていく。
★キハ6412(6410形) ★キハニ6455(6450形)
(ホジ6062→ジハ6012→キハ6412) (ホジ6010→ジハニ6060→キハ6455)
=大正2.8.28に九州に配属された。鳥栖、直方、益田、富高、南延岡、西唐津。S22.7.4一休。
=明治45.5.14西管局(神戸)に配属。ジハニ6060として、大正13年10直方へ。益田、富高、南延岡、鳥栖、南延岡と移動。S16.8.23一休。上佐世保の据缶代用。


国都線でも4両が活躍、日豊線新ルート建設を支える
 日豊線の全通は大正12年だが吉松ルートだった。現在の日豊線に当たる国分〜西都城間が昭和2年から国都線として建設された(※昭和7年12月6日全通)。国都線の部分開業区間にも蒸気動車が投入された。こうした短距離輸送にはもってこいだった。
 鹿児島区は国都西線の西国分〜国分の部分開業で、鹿児島〜国分間に使用。吉松区は昭和4年度に東京鉄道局の転属車を配置、国都東線都城〜財部の部分開業に用いた。
★キハ6415 =鹿児島、都城に在籍
★キハ6454 =都城、鹿児島、都城
★キハ6450 =昭和4―6都城。
★キハ6451 =昭和4―6都城。

(参考文献=鉄道ピクトリアル256、100年の国鉄車両、日本国有鉄道百年史)



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